大学広報誌OPU Vol.02「紡」
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―入社されたのは松下電器産業ですが、配属は松下電子工業だったようですね。松下に入社したら、技術者はまず中央研究所に行きたいと言います。カラーテレビやVTRが始まった頃で、人気がありました。しかし、私は半導体をしたくて入社したので、半導体の研究ができるところに行かせてほしいと申し出ました。半導体は子会社である松下電子工業が担当していました。人事担当者からは「もう本社に戻ってこれないかもしれないよ」とアドバイスされましたが、迷いはなかったですね。―松下電子工業は、どんな会社でしたか?当時は松下電子工業への配属者は少なく、私が初めて研究所に行ったら「おお10年ぶりの新入社員や」、何をするんですかと聞いたら「好きなことしとけ」と(笑)。えらいことになったと思いましたが、府大も好きな研究をするという風土があったのですぐになじみました。この会社は、やったことはきちんと評価してもらえるし、私にはよく合っていました。―社会人のスタート時点で、不安はなかったですか?性格もあるのでしょうが、私は他人と同じことをしても仕方がない、これから伸びる分野で勝負したいという気持ちが強かったので不安はなかったです。当時は松下電子工業よりも合弁会社だったフィリップスの技術力が上で、それに対して独自技術を開発しようという気概のある先輩がおられ刺激を受けました。10年くらいたったら私たちの技術が上になり、フィリップス社がこちらの技術を欲しがるほどでした。―転機はありましたか?化合物半導体の研究開発を担当していたのですが、その研究成果を事業として立ち上げることになりました。その時に、当時の社長が「金はいくら使ってもいいから1年で事業化しろ」と。1年では無理でしたが3年で立ち上げることができました。トップの時代を見抜く目があったからこそできたと思います。―その後、松下電器産業に戻られていますね。平成14年でした。その頃から半導体のウエイトが次第に高くなったので、松下電子工業の半導体研究開発部門がそっくり松下電器産業に移ったのです。社内のM&Aみたいなものです。時代の流れだったのでしょう。―最初にシステムLSIの事業部門を立ち上げられた経緯は?半導体には化合物半導体、DRAMフラッシュ、システムLSIの3つがありますが、私はこれからはシステムLSIの時代だと考えていました。システムLSIの部門を作らなければ、デジタル家電が伸びる時代にセットの商品力が無くなります。私の進言を理解のあるトップの方々も認め、今やシステムLSIは松下グループの動脈として、超重点事業となっています。―パソコンメーカーも同じジャンルに参入してきませんか?パソコンに使われている半導体のはせいぜい4000万トランジスタくらいでしょう。それに対して松下の薄型テレビ『ビエラ』に使っているのは1億とか2億トランジスタもあって、どちらが最先端の半導体かは明らかです。あえていうなら、今、パソコンに負けているのはネットにつながらないというところだけで、技術的にはデジタル家電が上です。信頼性でもデジタル家電ならちょっとでも不具合があれば「どうなってるのだ!」とクレームが来て、我々はすぐに対処します。が、パソコンは少々のバグは当たり前といったスタンスです。幅広く、たく何を研究するのですかと聞くと「好きなことをしたらいい」松下電子工業の研究風土は府大と同じで自由でした。―国際企業体・松下グループの商品戦略の方向性をお聞かせください。デジタル家電がさらに大きなマーケットになってくるのは間違いありません。デジタル家電の融合がいっそう加速するでしょう。パソコン、携帯電話、テレビ、カーAVなどが融合し、欲しい情報がいつでもどこからでも手に入る、どんなものからでもネットワークにアクセスできる『ユビキタス・ネットワーク時代』がやってきます。その中心となるデバイスはシステムLSIです。そしてこの技術がさらに進化して、融合化することで、テレビが大きく進化します。きれいというだけでなく、まもなくインターネットにつながるテレビが出現します。ユビキタス・ネットワーク時代へ松下電器産業に移ってすぐ「デジタル家電の時代に備えて、システムLSIの部門を作るべきだ」と進言しました。21世紀と20世紀の一番の違いは、時間軸が非常に短くなっていること。新しい技術も1年で25%のものが陳腐化します。05

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