大学広報誌OPU Vol.02「紡」
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れてきた。板本『庭訓往来』は一種の教科書だが、身分制度にあった『農業往来』『商売往来』といった板本も数多く登場し、生きるために必要な知識を人々は出版物から得るようになる。出版文化がさらに進み、メディアも発達した現代、私たちはメールを使い、文字は書くものではなく打つものになってきた。メール文と普通の手紙文とは書き方が違う。また、漢字は選択するものになったせいか、使用が増える傾向も出てきた。「我々は国語教育の多くの時間を漢字を覚えるのに費やしています。非常に大きな時間的犠牲の上に、漢字仮名交じり文の便利さがあるといっていい。しかしそれが本当にいいことなのか、よりよい文字生活とは何なのか、一人一人が自分自身で考えてみてほしい」と乾教授はメッセージを送る。文字の使い方は古代のようにもっと緩やかな使い方でもいいのではないか、という乾教授に日本語の文字の行方をたずねてみた。「未来を語らないのが人文科学です。ここが自然科学との大きな違いですね(笑)」平安初期、平仮名と片仮名の体系が完成した。源氏物語が仮名で書かれ、女性たちは仮名を使うようになる。「漢字文は公文書などで使われる事務的な言葉であり、学問的な言葉になりました。そういう場に顔を出すことのなかった当時の女性は、漢字を使う必要がなかったのです。男性は漢字も必要だし、女性に手紙を書くときは仮名を使ったので、両方使うこ人間社会学部 人間社会学研究科なぜ「漢字仮名交じり文」ができたのか?とができました」では、なぜ「漢字仮名交じり文」が登場したのだろうか?乾教授は「おそらくこの時代に和歌を研究するようになったから」と分析する。和歌という平仮名の世界と、研究するという学問的な世界がいっしょになったことが、「漢字仮名交じり文」の出発点ではないかと語る。「平安末期の説話集には、平仮名、漢字、片仮名交じりが登場します。『今昔物語集』『平家物語』などは和漢混淆文で記されています。これが私たちの言葉のルーツになっていて、漢字仮名交じり文に非常に近い形勅撰集に平仮名を使って散文を書いたのは紀貫之が最初。その理由は……、同時代の菅原道真が嫌いだったのかもしれません。新井白石著『同文通考』では、日本独特の漢字使用について言及し、国字、国訓、借用、誤用などに分類されている。たとえば手紙に使う「宛(あて)」は「充」の誤用から生まれ、定着したものだ。「間違いが残るひとつの理由は便利だからです。たとえば現代の『ら』抜き言葉もそうです」が成立したと思われます」その後も政府の公文書は江戸時代まで漢文が使われ、明治憲法でようやく漢字片仮名交じり文が登場することになる。江戸時代に板本ができ、人々は広く同じ文字を共有するようになった。識字率が一気に高まることで文字体系は簡単になり、漢字の字体も板本がお手本となって統一さ出版、メディアの変化で文字生活は大きく変わる24

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