大学広報誌OPU Vol.02「紡」
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でも天皇の諱表記が違うのです。古代では表記が何種類もあって、今のような統一表記という考えはなく、緩やかな文字使いが行われていました」平安初期にできた菅原道真編集の『新撰万葉集』は、漢文謳歌の9世紀から和歌文学謳歌の10世紀をつなぐ重要な歌集であり、真名書きの和歌に七言絶句を添えるという和漢折衷の様式をとっている。この真名書きと万葉集の真名書きとの違いを扱ったのが研究の原点にあるという乾教授。「新撰万葉集の仮名は、平仮名ができた時代のものなので万葉集とは少し違います。万葉集では漢字でウタを表現しようとしているのに対し、新撰万葉集ではウタに漢字を充てています」9世紀後半に仮名ができると、漢字は意味あるもの、仮名は音を表すものという対立軸に変わった。『新撰万葉集』ができて10年後に完成したのが紀貫之編集の『古今和歌集』である。紀貫之といえば「おとこもすなるにきといふものを、おんなもしてみむとてするなり」で始まる土佐日記で有名だが、勅撰集の規範ともなった古今和歌集の序文を仮名で書いたのも彼が初めてであった。「それまでの公文書はすべて漢字です。仮名の運命は、ここで決まったといっていいでしょう」当然漢文の素養もあった紀貫之は、なぜ仮名で序文を書いたのだろうか?「道真への対抗意識というか、多分、道真が嫌いだったのでしょうね(笑)」だけうまく書けるんだという意識で書いたものです。万葉集の前代、7世紀の木簡に見られるように、もっと簡単な書き方も存在していたのです」と乾教授は語る。万葉集は歌だけだと思われがちだが、漢詩や漢文もある。漢字による日本語表記は、万葉集をもって最高の到達点に達した。万葉集には考えうるさまざまな漢字の用法、工夫が十分に表れており、漢字による日本語表記が8世紀には比較的自由に行われるようになったことが分かる。万葉集の真名書諸巻は、基本的には変体漢文と同じであり、そこに含まれる仮名も多音節の仮名であったり、意味の連想を利用した用字法であったり、漢語表現を好んで使っている。しかし、それは当時の日用の文字使いと比べると極めて特殊な表現法であった。「万葉集のように歌集として編まれるために書かれたウタと、日常において書かれたウタとでは、書くことの意識も階層も違い、使用される漢字も自ずと違ってきます。もっとおもしろいのは、日本書紀と古事記と人間社会学部人間社会学研究科人間社会学部人間社会学研究科乾 善彦教授Yoshihiko InuiProfile1996年大阪女子大学教授、統合を経て2005年より大阪府立大学教授に就任。文字とことばの関係、日本語書記の史的研究、漢字にまつわる諸問題がおもな研究テーマ。著書に『漢字による日本語書記の史的研究』『「世話早学文」影印と翻刻』『新撰万葉集諸本と解題』ほか。飛鳥池遺跡や難波宮跡などから多数出土した木簡からは、日常の書記活動がうかがわれ、そこでは万葉集とは異なる文字使用が行われていたことが明らかになった。「万葉集は奈良時代の一般的な書き方だと思われがちですが、上流層の人間が、これ「漢字仮名交じり」の2種類の文字を使いこなす日本語は、世界的に見ても極めて珍しい書記体系である。元来、文字を持たなかった日本人が、漢字を使って自分たちの言葉を書き表すようになる。それはまさに漢字との戦いであった。やがて漢字を自分たちのものとし、さらにそこから仮名を生み出す。以来、私たちは現在に至るまで、2種類以上の文字を使って言葉を表すという、世界的に見ても珍しい存在となった。古代から現在に至るまでの漢字の研究は日本語でしかできない研究テーマであり、その変遷を追っていけば、大らかで緩やかであった日本人の文字生活が浮かび上がってくる。漢字と仮名の対決!菅原道真VS紀貫之万葉集と和歌木簡とでは文字の使い方が違う23

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