大学広報誌OPU Vol.01「新」
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OPU Interview II「数日後、入部しに行った。アーチェリー部の部室は例のくそ汚い体育会ハウスの中ではなく、当時関西随一といわれた射場のそばに独立して建っていた。先輩たちは親切で優しそうだった。これなら楽しめそうだわいと満足した。だが調子に乗っていられたのも、ここまでだった。」(集英社文庫『あの頃ぼくらはアホでした』より抜粋)ばいから、もう一度考えてみたら」というメッセージを送ります。たとえば、いま、バンドをやりたいとか、アーティストになりたいとかいう若い人はいっぱいいます。夢を追いかけるのはいいけれど、それだけでは志も中途半端に終わるでしょう。他の人とは違うものを持っているのか、いかにして身につけるかです。大学時代、僕は人生のいろいろなメニューを見せてもらいました。俯瞰して、自分自身の位置を見ることができました。いま自分はここにいるけど、あっちに行ったらどうなるのか、いろんな道があるな、やってみたいこともたくさんあるな、そんなことも考えました。いろいろ考えて、そのいくつかに関して本気で取り組めば、後々どこかでひっかかってくると思います。したが、いま新たにチャレンジしておられることなどはありますか?スノーボードです。今年で丸4年ですが、年間40日滑走することが目標です。今年は忙しくて、ちょっとこの目標は達成できないかもしれないけれど。―スノボーとは意外ですね。どこにひかれるのですか?スリルかな。スピードもいいけど、あの落ちる感覚。好きですね。―最後になりますが、後輩となる若い人たちへのメッセージをお願いします。僕は、夢のない人には、メッセージはないです!夢のある人だったら、「もし君の夢が他の人と同じような夢なら、それはやることは小説を書くことでした。―忙しかったと思いますが、いつ書いたのですか?どんなに遅く帰ってきても、書いていました。がんばれたのは、江戸川乱歩賞に5年応募し続けて、ダメなら才能がないと思ってあきらめようと腹をくくっていたからでしょうね。―受賞後仕事をやめて上京されますが、多少の不安は、なかったですか?東京でダメだったときのことは、あまり考えなかったです。―その後は、みなさんもご存知のようにミリオンセラー作家の道を歩まれてきま東野 圭吾1958年、大阪市生まれ。大阪府立大学工学部電気工学科卒業。エンジニアとして勤務しながら小説を執筆し、1985年に『放課後』で江戸川乱歩賞を受賞し、作家デビュー。退職後上京し、1999年には『秘密』で日本推理作家協会賞受賞。5度の直木賞最終候補を経て、2006年、『容疑者Xの献身』で直木賞受賞。小説に『白夜行』『片思い』『幻夜』『さまよう刃』、エッセイに『あの頃ぼくらはアホでした』など。Keigo Higashino38

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