教育PRO 平成30年2月27日
7/40

5教育PRO(第3種郵便物承認)平成30年2月27日類教授)が着目くださり、真嶋という面白い経歴の人がいるという話になったようです。女性研究者の働く環境整備の取り組みを手伝ってほしいと依頼が来ました。もちろん断る理由はなく、そのときからずっと一緒にやってきました。 私が中百舌鳥キャンパスに来たときは、全く女性がいないかのような環境、雰囲気でした。あれからずいぶんと環境整備は進んでいるとは思いますが、現役の院生である清水さんや丸本さんはどのように感じているのかお聞きしたいです。――清水さんは工学、丸本さんは理学ですね。清水 数理工学分野ですが、周りは男性ばかりです。一方でトイレはきれいなので嬉しいです。真嶋 トイレはきれいになりましたが、今でも女子トイレは少ないと思います。私が来た頃は女性の更衣室もほぼありませんでした。男性と時間差で着替えるというようなことをやっていました。10年前は、そういった不充分なところが多々あり、それらをひとつずつ整備していきましょうといって始まったのが女性研究者支援センターの事業です。 初めに行った特徴的な取り組みとしては「研究支援員の配置」があります。女性の先生たちが育児や介護と研究を両立するにはとても時間が足りないので、研究時間を確保するために支援してくれる方を付けましょうというものです。研究のデータ整理とか授業の準備、出張のための書類の電子化作成などをフォローして、子どもを保育園に迎えに行く時間には職場を出られるようにと女性研究者をバックアップしました。 さらに女性の相談窓口を作りました。それまでは気軽に相談するところがなかったて就職しました。夫が岡山県で就職しましたので、家族と暮らす岡山の自宅から神戸の大学まで新幹線通勤をして働いたこともあります。 その後、岡山理科大学の大学院工学研究科の博士後期課程に進みました。当時は看護大学が全国的に増え、基礎看護や臨床看護を教える教員の求人は多かったのですが、私が研究している看護情報学や看護教育工学は求人がどこにでもあるわけではありませんでした。博士課程修了後、縁あって福岡県北九州市の産業医科大学に勤務しました。夫と長女が大阪に、私と2歳になる次女は福岡に暮らし、平日は単身赴任のような形で働きました。 2004年に羽曳野市にある大阪府立看護大学の看護情報学分野の公募で採用され、2005年に大阪府立大学と統合した際には、工学部や他学部の先生方との交流が広がり、学内情報教育の強化という方針を受けて中百舌鳥キャンパスに異動することとなりました。「看護、医療における情報システム支援、eラーニング、教育工学」を研究し、現在は看護のケアの方法をeラーニングで学ぶ研究に力を入れています。 学生時代に勉強を続けながら出産・育児をし、女性研究者として直面する妊娠・出産・育児・家事・仕事というハードルを都度乗り越えてきました。そういう私のキャリアが後進のロールモデルとして参考になればと思っています。――学生の時代から育児と仕事をするのは楽ではなかったとは思いますが、笑顔でさらっと振り返られました。女性研究者支援センターの代表にぴったりの経歴とマインドをもつ人ということで、白羽の矢が当たったのですね。真嶋 前任者の田間泰子先生(教育福祉学

元のページ 

page 7

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です