大阪府立大学 ロールモデル集III
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●社会人時代(2007~)●学生時代(~2007) まだ結婚していないこともあり、ワーク・ライフ・バランスを考えたことはありません。大学4年の時の研究生活スタート以降、扱っているのが細胞や動物などの生身のものということもあり、実験のスケジュールを第一に考えた生活を送っています。 教員となってからも基本的なスタイルは変わりません。ただ、地元から離れたところに就職したため、連休などには実家に戻り友人たちと会うことが、学生時代より多くなりました。医師や薬剤師、教員として仕事を継続しながら、結婚・出産・子育てもしている友人もいれば、仕事や研究のみの友人もいます。金子みすゞの『みんな違ってみんないい』ではないですが、人との比較はせず、その時々で、自分がやろうと思ったことをやるのみです。家事10%その他10%仕事80%研究者として、楽しみながら実験を続けることができればいいなと思います。そして、専門分野の中で、自分の名前で「~の研究の人」と認識されるような研究成果を出せるようになることが目標です。結婚していない私が言うのはおかしいのですが、周囲をみると、民間企業よりも公務員や大学研究者のほうが、結婚・出産のための周囲の環境が整っているように思います。女性だからといって冷遇・優遇されるということではなく、男性と同じ立場で競うことが求められる、競うことができるのが研究者という職業という気がしています。2007~大阪府立大学助教2006金沢大学21世紀COEプログラム「発達・学習・記憶と障害の革新脳科学の創成」 大学院生研究奨励賞受賞~2004金沢大学大学院博士前期課程修了~2007金沢大学大学院博士後期課程修了~2002金沢大学薬学部卒業 大学の博士前期・後期課程の時点では、薬学部の研究室に所属しながら医学部との共同研究に参画しており、研究・実験をやること自体が楽しく、これが続けばいいなという漠然とした思いがありました。実際に大阪府立大学の助教の職に就くことになったのは、博士後期課程の3年の時に、私が学部4年の時に所属していた研究室の助教授であった、現所属先の中村洋一教授に声をかけていただいたことがきっかけです。卒業研究を指導していただいた先生ということもあり、アルツハイマー病などの脳の疾患のメカニズム解明や、脳を構成する細胞の1つであるグリア細胞の機能解析など、学生時代に行っていた研究に近い内容の研究を継続することができています。 所属していた研究室の方針もあり、学生時代から数多くの学会に参加して発表を行ってきましたが、「米田幸雄教授の研究室の…」という枠組みに助けられている部分も多かったように思います。教員となって独立した研究者として認めてもらうためには、論文ももちろんですが、学会などで自らの「顔を売る」必要があります。博士後期課程在学中には毎年1回は行っていた海外の学会に、最近は行けていないのが残念なところです。 小・中学校時代は、体育と図工、美術が大の苦手であること以外、特に授業科目の得意・不得意を意識したことはありませんでした。 高校受験が近づいた時、たまたま受験する予定だった高校の理数科が、前年度から一部推薦入試を導入しており、担任の先生からお誘いを受け、「ダメだったら一般入試で普通科を受験すればいい」と軽い気持ちで推薦入試を受けたところ、合格したのが、理系選択の最初でした。入ってみると、理数科は学年に1クラスで3年間メンバーが変わらないこと、また理数系の科目に関して、理数科だけの合宿形式の課外実習や数人のグループに分かれての課題研究などがあり、結束力が高く、普通科からは若干、特別視されるような集団でした。医師を目指す同級生が多かったこと、生物系の授業や実習が面白かったこと、父親が製薬企業のMR※をしていたことなどから、大学受験の時点では、理系の中でも薬学部を目指すようになりました。 薬学部が4年制から6年制へと変遷する時期だったため、入学した時点から博士前期課程までは進学しようと決めていましたが、学部4年の時に卒業研究のために所属した研究室生活で、実験すること自体が楽しいと思うようになり、博士後期課程に進学することを決断しました。※Medical Representative:医薬情報担当者Personal HistoryWork Life Balance●学生時代●社会人時代Message後輩へのメッセージ将来の目標・夢Dream9

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