大阪府立大学 ロールモデル集III
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将来の目標・夢Dream●社会人時代●学生時代自分の可能性を信じて、自分が大切にしたい事とか想いを見つめて、見つけて、そしてそれを大切に、夢に向かってチャレンジしてください。そうすると、不思議な、半ば運命的な偶然の出逢いやチャンスによって夢が実現するものです。一緒に夢を目指す仲間が見つかると、力もグレードアップ!素敵な偶然をつかむポイントは、オープンマインドとトライする勇気、そして、仲間ネットワーク! 子どもが生まれるまでは、結婚後も、がむしゃらに研究していました。ワーク・ライフ・バランスの必要性も感じずに。最初の出産は、大学着任1年目。出産1週間前まで働き、産後4カ月で復帰しました。「発熱のため迎えを」との保育園からの電話には、仕事に差し支えると不機嫌になる、未熟な母でした。深夜までベビーシッターを頼んで研究するなど、その日常はいずれ破たんするバランスでした。 大きな転機は、1年間のアメリカ在外研究員期間中の二男の出産でした。陽気で優秀な研究者達は疲労オーラがなく、すべてに自然体でした。この二男の新生児期の大病もあり、同志と呼ぶべき我がパートナーの支えのもと、私の人生観は大きく進化し、やっと子どもがいる環境も含めた自分を受け入れました。 4人の子どもを得て今わかった事は、「自分にとって大切なこと、想い(=内的キャリア)」がはっきりすれば、それに沿うような納得の働き方・生き方が見つかるということ。今、自己理解の上の自然体が、いい感じです。 子どもの時から、考える前に走り出すタイプでした。思えば、困難は新しいステップへのチャンスでした。その度に、人に出逢い、導かれ、支えられて、自分のやりたいことに向かって進んで来られた気がします。 最初の挫折は大学入試。志望大学の合格点に到底及ばなかった私は、志望大学ではなく志望する学科である物理で選びました。偶然に入学した大阪女子大学が、今に至る私の生き方の、価値観の基盤です。「女性学」という科目が必須で、大阪女子大学に大学院が無かった時代に旧帝大で学位をとって、母校で教鞭をとっておられる女性教員が多く、「女性も責任ある仕事を持ち社会に貢献すること、誇り高く生きること」を、実践と教育の両面から教えてくださいました。 卒業研究は念願の実験物理学教室へ。しかし、私は全く実験に向いていなくて、同じゼミの人たちには実験でペアを組むのを恐れられました。酸素ボンベのバルブを反対側に回して、酸素漏れで騒ぎを起こしたりもしました。結局、当時助手であった東村武則先生の下でコンピュータを使った理論物理のテーマに転向し、たちまち計算の虜になりました。東村先生には、その後会社を辞めて大学院進学を望んだ時にも、大変お世話になりました。先生がおられなければ、今の私はありません。 大学卒業後は企業の研究所に就職しました。構造物の強度計算がメインでしたが、工学の専門知識はゼロでしたので、研究員の方々に学びました。造船工場、設計部、山奥のダム、製鉄所、女性研究者も多く何もかもが新鮮でした。でも、次第に自分の力の無さを痛感し学び直すことを望みました。大学院探しは難航し、大阪大学の北川浩教授に相談に押しかけました。先生は、親身になって私の人生を考えてくださいました。最終的には、1年間の研究生生活の後、進学し、学位をいただきました。北川浩先生は人生の恩人です。 「30歳」「女性」「既婚で子どもなし」で、職探しには苦労しましたが、大阪府立大学の助手に着任、その後、大阪府立高専に移りました。まいど一号プロジェクトの府大生、物づくりに打ち込む高専生の姿に、自ら学び成長する力の強さを感じました。卒業した学生から、進学や就職の相談も受けるようになりました。 その後、子どもが4人に増え、女性のキャリア構築の研究を志向したことは自然な流れでした。現在は、理(工学)系で研究・教育を続けている背景を活かし、現在進行系の当事者の一人(?!)として、「女性技術者・研究者のキャリア発達のための場」の実践的研究に取り組んでいます。目の前のキャリアだけを考えるのではなく、人生をトータルに考えて自身の想いを大切にする生き方こそが、キャリア構築に大切だと感じます。家事・育児25%その他その他その他5%5%仕事70%家事・育児40%趣味10%仕事50%〈在外研究前(子ども2人)〉〈それ以降〉1993~日立造船株式会社技術本部技術研究所1993~大阪大学工学部機械工学科固体力学研究室研究生機械工学科固体力学機械工学科固体力学1996~日本学術振興会特別研究員(DC2)1997~大阪府立大学助手1999~2000文科省在外研究員(短期、アメリカ合衆国ブラウン大学工学部)(兼任)2005~大阪府立工業高等専門学校助教授2007~大阪府立工業高等専門学校准教授2000アメリカ合衆国 ブラウン大学工学部客員研究員(兼任)2011~大阪府立大学工業高等専門学校准教授(大学への移管のため)ブラウン大学工学部ブラウン大学工学部2000第2子出産ブラウン大学工学部ブラウン大学工学部2001第3子出産2005第4子出産1997結婚第1子出産~1990大阪女子大学学芸学部卒業日本学術振興会~1997大阪大学大学院博士後期課程修了これまで機械工学の分野で女性研究者として研究に携わってきました。今、理系分野での女性研究者の現状を当事者として共感できる立場で、女性研究者・技術者のキャリア発達のための研究に取り組んでいます。全くの畑違いの研究分野ですが、20年近く理系分野で実践してきた経験から、その立場を理解できる強みを活かせると考えています。理系と文系の交差点に立つ私だからこそできる学生へのキャリア教育と、働く女性を笑顔にできるキャリア開発・支援の研究・実践をしていきたいです。本も書いてみたいなと思っています。Personal HistoryWork Life Balance●学生時代●社会人時代Message後輩へのメッセージ23

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