大阪府立大学 ロールモデル集III
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将来の目標・夢Dream 夫はアルゴリズムの研究者です。研究者としての苦労や喜びは解りあって、細部は問わないという意味では、理想的かも知れません。100%が自分の時間だった学生時代に比べると、仕事・家庭を抱えて時間が足りないなあと思うのは事実です。でも、良い母や妻でいることは、熱心な教師、優秀な研究者でいるのと同じくらい大切ですから、こどもの学校の話を聴くのも、夫と取りとめのないことを話すのも、無駄な時間とは思いません。逆に、私が数学者であることは家族にとっても重要なので、研究を怠るようなことがあっては、責任が果たせないと考えています。 育った家庭は、父がドイツ哲学の研究者、母が英語の教師ですから、有り体に言えば「文系」です。しかし、一人前の社会人たるには、自然科学も人文科学、社会科学も理解していなければならないというのが両親の考え方でした。偏りなく勉強を進め、特に数学が面白いと思ったので、大学は理学部を選びました。今でも、理系・文系という言葉には違和感を覚えます。メンデルの法則や電磁誘導を知らないのは、関ヶ原の戦いを知らないのと同じくらい、社会人として恥ずかしいと思いませんか?エネルギー問題、領土問題…人間の営みを適正に続けて行くためには、善意だけでは役に立たないのです。 研究者を目指す人にとって、学生時代は、自分に適性があるか、就職先があるか、常に問い続けることになり、試練の時です。その時代に私を支えてくれたのは、友人たちでした。数学の場合、ずっと家にいても研究できますが、私は学校で勉強するほうでした。大学院を過ごした数理解析研究所では、大学院生の部屋は学年も専門も分散して割り当てられました。朝から論文とにらめっこしていると、コンピュータ室から一仕事終えた人が来て、一緒に音楽を聴いたり、できないなあと唸っていると、専門は全然違う人が、説明してみなよと声をかけてきたり、にぎやかな院生室でした。当時は私が唯一の女子大学院生でしたが、外国からのポスドクの中には女性もいて、一緒にご飯を食べに行っては女性研究者ならではの話題で盛り上っていたものです。また、大学入学後すぐに入った自主ゼミは、チューターの先輩が非常に厳しくて、よく徹夜で勉強しました。お蔭でゼミ生の結束が固くなり、当時の仲間とは今でもきょうだいのような付き合いです。●社会人時代(1995~)●学生時代(~1996)1996~立命館大学助手1999~京都大学非常勤講師2000~明治大学非常勤講師2002~大阪女子大学助教授2005~大阪府立大学准教授(大学統合のため)1999第1子出産1996結婚~1991京都大学理学部卒業~1993京都大学大学院修士課程修了1995~1996日本学術振興会特別研究員(DC2)~1996京都大学大学院博士課程修了 専門は、環論という代数学の一分野です。学生時代から、コーエン・マコーレイ加群というベクトル空間のようなものを研究していて、それをうまく捉える方法を模索中です。ここ数年は、トポロジーの手法に興味を持っています。トポロジーというのは、ポアンカレという人が代数的な道具を幾何学で使えるように思いついたアイデアなので、それが逆に代数学に使えるとは、奥が深いですね。 数学の魅力についてお話しすると、若いころは、難しい問題が「解けるからスカッとする」爽快感がたまらなかったのですが、最近は、むしろ「どうなっているのか、知りたい」気持ちに動かされて研究を進めるようになりました。自分では精神的成熟の結果と信じていますが、実は、問題が難しいので、そんなにすぐに解けないという事情もあります。建築家ガウディは、自然は芸術の師だという見解を持っていたそうですが、美しい数学も、自然なものから生まれるのではないかと私は思っています。Personal HistoryWork Life Balance●学生時代若いころの自分の研究を振り返ると、時間をかけて随分能率の悪いことをしていたなと思うことがたくさんあります。手探りで一歩一歩進んで行くと、結局、既知の定理に辿りついたりして、自分の独創的研究のつもりだったのに、そうだったかとがっかりする。でも、自分だけの視点を得るには、やはり欠かせないプロセスだったと思います。迷うのも立ち止まるのも、研究には必要なこと。成果だけに捉われずに、あなたも頑張って!Message後輩へのメッセージ目先のことに追われる毎日ですが、生涯のうちに、量子力学とラテン語を勉強するのが目標です。掛軸にある漢文の賛も、すらすら読めるようになりたいですね。●研究について13

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