大阪府立大学 ロールモデル集III
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●社会人時代(2001~)●学生時代(~2001)サイエンスの面白さを感じる心を忘れずに研究を続けていけたらうれしいです。 6年ほど前に結婚してから、実家通いのころに比べて、帰りが少しだけ早くなりました。同じ分野出身の主人の理解と協力のおかげで、超「職住近接」で過ごしています。生物を扱う研究ですので休日出勤もよくありますが、家事の合間に大学に来ることができる、という距離感です。 あまりワーク・ライフ・バランスの参考にならない働き方かもしれません。今後妊娠・出産などに際して、さらに自分の働き方を見直す必要が生まれると思います。身の回りにほとんど実例が無いので、自分が試行錯誤することが、結果的に下の世代への参考になれば良いと思います。家事15%趣味・その他10%10%仕事75%自分が様々な選択をするときに心がけていることは、「何かをしなかった後悔より、何かをやった後悔なら許せる!」ということです。リスクを自分で引き受ける覚悟ができるなら、何でもやってみたらいいと思っています。飛び込んでからは「何とかなるさ」の楽天主義です。この気楽さは女性ならではかもしれません。誰もがこの考え方をするのは無理があるかもしれませんが、恐れるくらいなら飛び込んでみては?と思います。2001~大阪府立大学助手2005~大阪府立大学助教2002~2003大阪府企画調整部(併任)2011~科学技術振興機構さきがけ兼任研究者~1998大阪府立大学農学部(飛び級のため)中途退学~2000大阪府立大学大学院博士前期課程修了~2001大阪府立大学大学院博士後期課程(助手任用のため)中途退学2006結婚 私の科学者ゴコロの芽生えは、理科の授業がすべて実験室で行われていた小学校高学年でした。実験結果を予想し、議論を行ってから、実験で検証する、という授業を2年間経験し、理科って面白い、と思うようになりました。高校は女子校で、理系選択者は5%程度でしたが、生物がとても好きだったこと、化学にも興味があったことから理系を選択しました。環境問題に興味があり、バイオテクノロジーを使って環境問題にアプローチできる分野に進学したいと考えていました。そして、農芸化学科を前身とする、本学の応用生物化学科(現:生命機能化学科)を志望しました。 入学当初は自分の中で「高校生物」と大学での学びにギャップがありました。しかし、徐々に化学を基盤として生物を知るスタンスの重要性を感じ、無知な自分の少しの勘違いにむしろ感謝しました。ほぼ毎日実験・実習があったことも、自分に合っていました。部活はハンドボール部に所属し、体育会らしい大学生活も楽しみました。 研究室配属では、環境問題への興味から、宮武教授の生物資源循環工学研究室へ。ミドリムシを材料として研究を始めました。ドクター進学の際は、企業への就職とも悩みましたが、「自分が考えたことや、不思議に感じたことを、自らの手で明らかにしていける仕事はアカデミア以外にない!」と思ったことが決め手となりました。 縁あってドクター2年目の10月に所属研究室の助手に採用していただき、現在に至っています。採用半年後には、大阪府に行政職として1年間、週3日併任勤務を行う経験もしました。企画調整室の科学・情報課で、大阪のバイオサイエンス振興戦略に関する仕事をさせていただいていました。大学の業務とは全く異なったため研究時間が削られてマイナスだ、という意見を持つ方も周囲には多かったのですが、このとき得た「人のつながり」は今でも続いており、私自身とても感謝しています。 教員になるまでは近道させていただいた私ですが、博士の学位を取得しないまま教員になり、論文博士の取得まで約10年、とても遠回りしてしまいました。周囲の方々にたくさんのご迷惑やご心配をおかけしたと思います。学位取得直後に教授が定年退職されて、研究の方向性や研究費の獲得について悩んでいたタイミングで、幸運にも科学技術振興機構の「さきがけ」に採択していただき、ミドリムシの遺伝子組み換え系の開発やバイオ燃料への利用に関する研究を進めさせていただいています。ミドリムシを活用して、二酸化炭素放出を抑制する「カーボンニュートラルなバイオ燃料」を創り出すことを夢みて、研究補助員の方や学生のみんなと研究漬けの日々を過ごしています。将来の目標・夢DreamMessage後輩へのメッセージPersonal HistoryWork Life Balance●学生時代●社会人時代11

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