府大支援センター_ロールモデル集-2
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家事・育家事・育家事・育事・育育児児児児30%30%30%30%0%%その他その他その他その他の他10%10%10%10%0仕事仕事仕事仕事60%60%060%0 キャリアを続けていくなかでの大きな転換点は、やはり出産と子育てです。教員を続けていくのであれば学位取得は必須ですが、私の場合は30代になってからの結婚だったので、博士課程進学よりもまず出産・育児を優先させました。幸い二人の子どもに恵まれましたが、小さいうちはどうしても授業や実習などの代わりがきかない時に限って急病になったりするので、実家が遠くサポートを得られない身としてはやりくりが大変でした。夫とシフトを組んで休み、どうしても抜けられない時はファミリーサポートに頼り、学生をベビーシッターに雇ったりもして、毎日が綱渡りでした。 看護系の教員は女性が圧倒的に多いので、育児や家族の介護、学位取得など、周りも皆2~3足のわらじを履いて当たり前のように働いていますが、自分のキャパシティはせいぜい2足が限度なので、子どもたちが小学校に上がるまでは学位取得を考える余裕もありませんでした。一段落してから博士課程に社会人入学しましたが、准教授に昇格した時期とも重なって、学位取得までには5年かかりました。このように常に複数のわらじを履いているので、やはり人の2倍も3倍もの時間がかかってしまうのが現状です。私の場合は、夫の協力と職場の上司や同僚の先生方のフォローのおかげで、また自分も含めた家族全員が健康であったからこそ、自転車操業的ながらもマイペースで何とかやってこられました。 今は子どもたちも中学、高校生となったので、夕方必死に帰らなくてはいけない状況ではなくなりましたが、長期履修生のために大学院講義を土曜日に開講しているので、その分ウィークデイには極力残業しないようにしています。また、職場まで車で15分のところに住んでいますので、職住接近に助けられていることも多々あります。ワーク・ライフ・バランスのあり方は人それぞれだと思いますが、周りから助けられていることに感謝しながら、その時々の優先順位を考え、自分のペースやバランスを大事にすることがポイントなのかなと思います。 大学卒業後は東京都特別区に採用され、港区の保健所で保健師として勤務しました。特別区の保健所は市町村事業も兼ねてやっているため、乳幼児から老人、難病、精神、結核等、様々な事業に携わりました。当時はちょうどエイズが新しい感染症として問題になり、検査や啓蒙活動が始まったところでした。また、新人の時には伊豆大島三原山の大噴火が起こり、島民避難の受け入れ先として災害看護の先駆け的なことも経験しました。このように保健所では、時々刻々と変化する健康問題に対応する最前線としての刺激はありましたが、一通り仕事がこなせるようになると、本当に地域のニーズに合ったことが出来ているのだろうか…と疑問を感じ始めました。そんな時、大阪府立大学看護学部の前身である大阪府立看護短期大学から声がかかり、助手として転職することになりました。 母校の修士課程に進学するため1年あまりで一旦退職しましたが、修了後は設立2年目となる大阪府立看護大学に戻り、他分野での助手を3年経験した後、専門としていた老年看護学分野に異動することができ,今年で14年目を迎えました。現在の研究テーマは、高齢者施設における看護モデルの開発で、特に看取りケアや認知症ケアに焦点をあてた看護実践の明確化、ケアの評価指標の開発などを行っています。高齢者施設では、看護職や医師だけでなく、介護職をはじめとする様々な専門職との協働が不可欠となります。今後は、ケアチームにおける看護の専門性を明確にするとともに、多職種との有機的な連携のあり方を探り、ケアの質向上に貢献していきたいと思います。 早生まれで身体も細くて小さかったせいか、比較的おとなしい内気な子どもでした。ただ、共働き家庭のため保育園→学童クラブ→日替わり習い事コースを歩まされたので、自分の意思とは関係なく様々な環境に投げ込まれても、順応できるよう鍛えられた気がします。学業面では得意科目も不得意科目もない、良く言えばオールラウンドプレイヤーでした。何らかの専門職になって身を立てなさいと幼いころから刷り込まれてきたので、高校では理系科目を選択していましたが、3年になって物理と数学が伸び悩み、自分は真の理系人間ではないと気づきました。とはいえ軌道修正もできず迷っていたころ、当時、厚生労働省の研究職だった母から、「国立大学で唯一の看護学部だから学問として学べる」と勧められて、千葉大学看護学部を受験することになりました。 看護学部のカリキュラムは非常にきつく、月曜日から土曜日まで(当時は土曜も普通に授業がありました)、そして朝から晩まで授業や演習がビッシリでした。元々強い動機づけがないまま入学してしまったので、講義は最大限サボり、当時はまっていたスキーとその資金稼ぎのバイトに精を出していました。さすがに臨地実習では心を入れ替えざるを得ませんでしたが、何をしていいのかオロオロするだけの私に、患者さんは「あなたがいてくれてよかった」と言って下さり、感謝される快感を知りました。今でも実習で受け持った患者さんたちのことはよく覚えていますし、人の人生に深く関わる看護の仕事の奥深さや面白さを知るきっかけとなりました。Personal HistoryWork Life Balance●●学生時代●社会人時代将来の目標・夢DreamMessage後輩へのメッセージ継続は力なりという言葉がありますが、どんなに細々とであっても続けることが大事です。人生にはいろいろなことが起こるので、常に100%の力を仕事に振り向けることはできませんが、豊かな人生経験を積むことは必ず仕事に活かされていくと思います。後期高齢者になるまでしっかり長生きして、その頃には高齢者ケアの質はずいぶんよくなったな…と思えるような看護を受けて看取られたいと思います。そのためにも、優秀な看護職を育てていきたいです。●●学生時代(~2008)●社会人時代(1986~)~1986千葉大学卒業~1995千葉大学大学院博士前期課程修了~2008神戸大学大学院博士後期課程修了1986~東京都港区赤坂保健所・芝保健所1999第2子出産1996第1子出産1995結婚2005~大阪府立大学准教授1995~大阪府立看護大学助手1998~大阪府立看護大学講師2004~大阪府立看護大学助教授2010~大阪府立大学教授1991~大阪府立看護短期大学助手19

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