府大支援センター_ロールモデル集-2
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家事家事家事家事家事事10%10%10%10%1その他その他その他の他他他他そそそ他他他他他5%5%5%5%5%5趣味趣味趣味趣味10%10%0%0%仕事仕事仕事仕事事75%75%75%%5%% 働きながら博士課程で研究をしていた頃は、週に何日か家にも帰らないという生活をしていた時期もありましたが、基本的には、仕事は仕事として一所懸命やり、また、仕事とは全く別の次元で、一度きりの人生、悔いのないよう出来るだけいろいろなことを体験したいと思い、興味をもったことはとりあえずやってみるようにしています。随分昔にビートたけしが下駄でタップダンスをしていたのを見て、タップダンスを習ったこともありました。将来何かの役に立つかもしれないと思って、秘書検定をとったり、ファイナンシャルプランナーの勉強をしたり、その勉強中に出会った人達と友達が2組結婚して子どもも生まれ、別の意味ではありますが、何等か人の役に立てたかもしれません。若い頃に少しでもやった事は、時間が出来た時、また再開しやすいように思います。昔習っていたピアノやゴルフもまたやりたいなぁと思っています。週末も仕事があったり、実家に帰らなければいけなかったりしますが、忙しい時には、次は何をしようか、次はどこに行こうかなど計画を立てるだけでも気分転換になります。 情報工学科卒業後、ソフトウェアの会社に就職し、神戸大学の総合情報処理センターで、会社と縁のあった副センター長の元で勤務していました。その時、阪神・淡路大震災に遭い、震災の悲惨な状況を目の当たりにして、それまで漠然と考えていた医療に携わりたいという思いが具体的になりました。また神戸大学での仕事が震災で中断したこともあって、会社を辞め、大阪府立看護大学医療技術短期大学部に入学し、看護師免許を取得しました。看護学部で修士課程を修了後、震災から復興して再オープンすることになった神戸市立西市民病院に就職しました。臨床は、患者の命をあずかるという重い責任があり、日々緊張しながら働いていましたが、そんな中でも患者や一緒に働く同僚との面白エピソードなど多々あり、振り返ると貴重な経験がたくさんあります。大学に戻ることになったのは、母校の恩師に声をかけていただいたからです。修士課程では、看護情報を専攻し、看護師の持つ患者情報を効果的に活用すること、また情報の有効利用により看護師の過酷な労働条件を改善することも、患者へのよりよいサービスにつながるという思いがあり、今もそれに関する研究をしています。2005年に大阪府立大学が3大学を統合したのを機に、工学部の先生方と工学を利用した看護に役立つ技術について、一緒に共同研究をさせていただきました。それがきっかけで、看護学部で教員をしながら博士号(工学)を取得しました。2011年度には21世紀科学研究機構へ、2012年度には現代システム科学域に異動し、これまでの研究を継続しています。 子どもの頃は、2人の姉の習い事や遊びにいつもくっついて、バレエや水泳、そろばんやお茶など姉の手ほどきでよく真似をして遊んでいました。毎日ほとんど外で遊び、なかなか家に帰らずしょっちゅう怒られていたように思います。小学校の頃は地域のポートボールチームに所属して市内大会で優勝、中学ではバレーボール、高校では剣道、大学ではダンスや合気道のクラブに所属したりと、活発な方でした。 理系を選択したのは、これも姉の影響で、上の姉が理系、私はどちらかというと文系だったのですが、高校で進路を決める際、上の姉が「理系の方が潰しがきく」と言った安易な一言を信じて選択してしまったというのが正直なところです。その後すぐ、文系人間が理系で潰しをきかせる為には相当頑張らないといけないことに気付くわけですけれど、その姉が数学や理科でわからない問題を教えてくれる時、とてもわかりやすく楽しそうに説明するのを見て、きっとわかれば面白い世界なんだろうなぁと、自分もそうなれたらいいなぁと思っていました。大学では情報工学を専攻し、医療画像(X線CT画像)処理の研究をしました。それに面白さを感じつつも、進路を安易に決めた自分の中の葛藤が常にあり、医療系に進みたいという思いが定まって、勤めていた会社を辞め、あらためて看護の勉強をしました。工学部にいる時には、人工知能やファジィといった工学的な技術をよりグローバルにヒトに近づけるような研究が注目されていたのに対し、看護という人間を対象とする分野では、より科学的にその技術・現象をつぶさに追求することを面白く感じました。Personal HistoryWork Life Balance●●学生時代●社会人時代将来の目標・夢DreamMessage後輩へのメッセージ自分と向き合って、肩肘張らずやりたいことを探し続けてください。それから一度やり始めたことは、ある程度自分で満足する形になるまで頑張りましょう。長い人生、必ずどこかで役に立つと思います。研究・教育では、看護を通して、人の健康を守ることに何らかの形で関わっていたいと思っています。人生の最期を迎える時、自分らしい、なかなか面白い人生だったと言えるように、生きていたいです。●●社会人時代(1994~)●学生時代(~2011)2000~神戸市立西市民病院2002~大阪府立看護大学医療技術短期大学部助手2006~大阪府立大学助教2011~大阪府立大学准教授2003~大阪府立看護大学助手(2005年より大阪府立大学看護学部)1994~アトラス情報サービス株式会社~1998大阪府立看護大学医療技術短期大学部卒業~2000大阪府立看護大学大学院修士課程修了~2011大阪府立大学大学院博士後期課程修了~1994三重大学卒業15

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