元気!活き生き 大坂府立大学ロールモデル集
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おとなしい子どもでした。読書はよくしたでしょうか。子どもの頃は、学校の先生になりたいと思っていました。 中学校の頃、畑正憲さんの『どんべえ物語』や『さよならどんべえ』が好きで、よく読みました。そして、漠然と獣医になりたいと思い、高校1年生で理系を選択しました。近畿では獣医学が学べる大学は大阪府立大学だけです。 大学では、創部して3年くらいの女子バレー部に所属し、部活に励んでいました。獣医学部は6回生までありますので、部活を引退後、4回生からは研究活動をするようになりました。研究室を選ぶ直前に、膝の傷口から細菌感染し、ひどい化膿巣になったことがあり、細菌毒素ってなんだろうと興味を持ったことが、研究室選択のきっかけになりました。 奈良県庁へ就職した時、衛生分野を希望して公務員になったにもかかわらず、奈良県家畜保健衛生所(畜産分野)へ配属になってしまったので、最初はなじめませんでした。が、当時、女性の獣医は私一人だけだったので、皆さんが気を遣ってくださったり、様々な発見もあったりで特に苦労はなく、徐々になじんでいきました。今では女性の多い職場になっているそうです。 最初は農家を回り、鶏や豚の飼い方、ワクチンプログラム、伝染病発生時の対応などの仕事をしました。大学で教科書に載っていたことが、実際に生きた家畜に施されていました。その後、病性鑑定部門で原因がわからない疾病を診断し、今後に役立てる仕事をさせてもらいました。私たちが食べるための家畜ですが、食べられて生命を全うする家畜もいれば、病気にかかり、その病気が何か調べるために殺される家畜もいることを目の当たりにし、愛玩動物の治療だけが獣医ではなく、私たちの食生活を支えるため、他の家畜に感染症を広げないために、命を奪う獣医もいることを知りました。その経験は、一昨年の宮崎県での口蹄疫発生時、何の症状もないのに防疫上ワクチン接種した牛や豚を殺処分しなければならない使命感に活かされたと思います。大型の動物を扱うことについては、女性であっても動物に接することに変わりはなく、また獣医師の資格を持っていますので、きちんと仕事をすれば差別などはありませんでした。 大いにやりがいはあったのですが、出身の研究室の教授が研究室を新設されたのをきっかけに、転職しました。研究のテーマは、ボツリヌス神経毒素の作用機構の解明です。ボツリヌス菌が産生するボツリヌス神経毒素による疫病がボツリヌス症で、人も動物もり患します。研究者としてはまだまだですが、時間に縛られず、自由な発想で、好きなことができるところがいいところだと思います。 7歳と3歳の2人の子どもがいます。夫は同じ研究者ですが、単身赴任ですので、家のことは全て私がしています。第1子の時は、準備がうまくいかず、保育園の待機児童になってしまい、私の産休後、夫が10ヶ月の育児休暇をとらねばなりませんでした。第2子の時は、その経験から準備を進め、産休後、夫が3ヶ月の育児休暇をとって4月から無事保育園に預けることができました。準備をし、保育園に子どもを預けることができれば復帰は円滑にできると思います。 復帰後は、毎日をこなすことで精いっぱいで、目の前のことを頑張ってやっていく毎日です。ただ、子どもが病気の時はお手上げで、両親に世話をしに来てもらっています。さらに、子どもが小学校になると、学童保育の他、シルバー人材センターも利用し、お迎えや習い事への送り迎えなどをしてもらっています。帰宅後、子どもを就寝させる前に食事、お風呂とあわただしくなるため、早朝に支度しています。大変ですが、子どもが母の日などにありがとうと言ってくれると、とても嬉しいです。 現在は女性研究者支援センターの研究支援員派遣の制度を利用し、実験に係わる単純な作業や器具洗いをしていただいています。おかげで、机に座って書き物をしても、実験が止まることがなくなりました。家事・育児30%仕事70%Personal History◦学生時代(〜1995)◦社会人時代(1995〜)◦学生時代◦社会人時代それぞれ環境が違うので、同じことを適用するのは無理だと思います。決してマネや無理をするのではなく、できることをしっかりやるべきだと思います。今は時間に追われる毎日ですが、育児がひと段落したら、余裕を持って現在の研究を続けていきたいと思います。1995〜奈良県家畜保健衛生所2001〜大阪府立大学助教将来の目標・夢Dream後輩へのメッセージMessage〜1995大阪府立大学卒業Work Life Balance2001結婚2004第一子出産2008第二子出産23

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