元気!活き生き 大坂府立大学ロールモデル集
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子どもの頃は自由奔放でした。先生から「良くも悪くも天真爛漫な子」と言われていたそうです。その頃の将来の夢は「スチュワーデス」でした。高校2年生の時のクラス分けで文理の選択を迫られ理系を選択しました。国語が苦手だったのが大きな理由ですが、英語が比較的得意で、担任の先生に「これからは理系で英語ができると有利だぞ。」と言われた事が決め手でした。大学は地元で進学する事を決めていましたので学科を選択するだけでした。応用化学科のパンフレットにバイオ関連の研究が紹介されているページを見て“楽しそうな研究だな。やってみたいな。”と思ったのを記憶しています。思い返してみると、当時はバイオが脚光を浴びており、憧れもあったのかもしれません。 大学時代、長期休暇(春、夏休み)を利用してオーストラリアにあるニューカッスル大学のランゲージセンターに通いました。その大学は看護科と建築科が有名らしく、世界各国から未来の“白衣の天使”や“建築家”を目指して沢山の人が留学していました。英語をツールとして目的に向かって頑張るクラスメイトの意識の高さに驚くと同時に、とても刺激を受けました。今でも当時のクラスメイトとは連絡を取り合い、行き来をしています。 大学院(博士前期課程)に行く事を決めたのは4回生の時です。当時は、化学メーカーでの就職を希望していましたので、大学院で勉強を続けようと思いました。博士前期課程で取り組んでいた研究で良い結果が得られるようになり、段々と研究が面白くなり博士後期課程への進学を決意しました。女性の場合、博士後期課程まで進学する人は少ないので決断には勇気がいりましたが、留学していた時の仲間の事を思い出すと自然と勇気が湧いてきました。 広島大学へ就職したのは、先輩が学会で広島大学の先生と話をされ紹介されたのがきっかけでした。広島大学では主にバイオ関連物質の取り扱いについて学ばせて頂きました。次の山口東京理科大学では金属ナノ粒子の化学合成法に関する基礎を教えて頂きました。全く異なるテーマで戸惑う事もありましたが、得られた経験は現在の研究活動に非常に役立っています。大阪府立大学に戻ったきっかけは、大学院時代の先生に「帰ってこない?」と言われ、同時に“テニュア・トラック講師制度”があることを知りトライしてみよう!と思ったからです。 現在は、様々な金属ナノ粒子の作製とそれらの光学、電気的性質を利用したバイオセンサへの応用について研究しています。研究以外にも授業の担当や学生に研究指導を行っています。趣味30%その他10%仕事60% 研究員のころから自然にバランスが取れていました。朝来て、帰る時間はバラバラです。2時、3時で終わる時もあれば、夜7時、8時に帰ることもあります。その時のスケジュール次第です。仕事は家に持ち帰らないようにしています。 家では、映画や外国のドラマが好きなので、暇さえあれば観ていますね。旅行も好きですね。年に2回から3回、国際学会にも行きます。日本だけでなく国際的な交流の場は、研究の幅が広がる場となり、視野が広がるので、大事にした方が良いと思います。Personal History◦学生時代(〜2007)◦社会人時代(2007〜)◦学生時代◦社会人時代“人生、一期一会”、研究活動においても人との出会いは新たな発想を呼び研究を多いに発展させます。皆さんにも人との出会いを大切にして学生生活を送って欲しいと思います。また、あらゆるチャンスを逃さないためにも常に“笑顔”を絶やさずにいて欲しいと思います。近い所では、学生に尊敬されるような大学の先生になりたいです。2010〜大阪府立大学特別講師(テニュア・トラック講師)2007〜広島大学研究員2007〜山口東京理科大学研究員2009〜大阪府立大学研究員将来の目標・夢Dream後輩へのメッセージMessageWork Life Balance〜2002山口大学卒業〜2004山口大学大学院博士前期課程修了〜2007大阪府立大学大学院博士後期課程修了15「FIA進歩賞」フローインジェクション分析に関する研究が独創的であり、将来を期待される研究者」として表彰されました。

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