元気!活き生き 大坂府立大学ロールモデル集
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小中高生の頃は、スポーツが好きで、小学校ではバレーボール、中学・高校ではバスケットボールに夢中でした。体育会系女子でしたが、その頃なりたかったものは、本やテレビに影響されて、宇宙飛行士であったりパイロットであったり様々でした。 高校生になり進路を意識する段階で、モノを創る技術者や新しいモノを発見する研究者になりたいと漠然と考えるようになりました。しかしながら、元々理系科目は苦手でした。苦手なくせに憧れはあり、いつか理系科目ができるようになりたいと思っていました。大学受験の時には、理系科目に時間をかけました。わかってくるとやはり面白かったですね。大学の学部の選択は、当時の先生に、「こういう学部もいいよ。」と言われたのがキッカケだったと思います。 大学4回生で研究室に配属になり、本格的な研究をするわけですが、そこが私の研究との出会いでした。なかなか創れないモノができた喜びを4回生の時に初めて経験しました。たいした性能はでなかったのですが、創る喜びをその時知ったような気がします。この時の経験から現在教員になって思うのは、小菅研に来て初めて研究と出会う学生さんに是非とも私と同じ喜びを味わってもらえるような研究室にしたい、と。学部からそのまま博士前期課程に進んだわけですが、周りは博士前期課程を修了して就職する人が大半であり、私自身もそろそろ独立したい気持ちもあり、当然のように就職しました。 就職してからは、商品開発を担当していました。この開発職もやりがいがあったのですが、ご縁がありCOE特任助手として大阪大学に戻ることになりました。最終的に大学に戻る選択に至った要因は一つではないのですが、当時の私は、企業の商品開発より、大学という自由な環境で、新しいモノを1から創る楽しさに魅力を感じたのも大きな要因であったかもしれません。大阪大学で博士号を取得後、(独)産業技術総合研究所に移りました。ここは基礎研究を実用化に繋ぐような研究をするところであり、ここに、私の研究テーマで非常に高名な先生がいらっしゃいました。1人目の子どもがお腹にいる時でしたが、テクニカルスタッフとして雇って頂き、出産直前まで研究を続ける事ができました。また、この時のご縁で、翌年からこの先生のもとで日本学術振興会特別研究員として研究を続ける事ができました。ここでの研究により、私の中で、基礎研究から応用研究の流れがキャリアとして繋がってきました。特別研究員の任期終了が近づいてきた時に、大阪府立大学でテニュア・トラック教員の公募を知りました。若手ながら独立した研究室を持てる非常にチャレンジングな環境であり、しかも子育て中の女性研究者に対する支援も掲げられている素晴らしい制度であり、運良く採用されました。 私の研究テーマは、熱を電気に変換する熱電材料という材料の研究です。恵まれた環境で、本当に自由にこれ面白いなと思った事ができる事が今、一番楽しくやりがいのある事です。 独身時代や結婚して子どもが生まれる前までは、バランスを取るという意識はしていませんでした。意識せずとも、それなりにバランスが取れていたのかもしれません。夫は自分の事は自分でする人でしたので、結婚生活が仕事の負担になる事はありませんでした。それが一転、子どもができてからは、圧倒的に時間に余裕がなくなり、仕事と育児のバランスをとるのに苦労しています。夫も研究職で、幸いお互いの仕事に理解がありますので、仕事も育児も二人で協力しあうよう心がけています。例えば、お互いの出張予定等を把握し、子どもの体調不良時などに可能な限り対応できるよう日頃から備えています。この他にも、祖父母にも頻繁に助けてもらい、なんとかやっています。子育てをしていると、お互いの職場、両親、保育園、その他たくさんの人に支えられている事を感じます。本当に、周りの人に感謝してますね。 平日は自宅に帰ると時間に追われて慌しくしていますが、なるべく子ども達との時間を大切にしています。休日は子ども達とご飯やパンを作ったり、公園で遊んだり、絵本を読んだりと平凡に過ごしています。子ども達の成長を見るのはそれだけで楽しいですし、ふと自分の子ども時代を思い出したりする機会も増えたような気がします。また、子ども達が純粋な興味で遊びながら学んでいるのを見ると、私もこういう気持ちで研究しなければいけないと気付かされる事もあります。家事・育児45%その他5%仕事50%Personal HistoryWork Life Balance2006第1子出産2010第2子出産◦学生時代(〜2006)◦社会人時代(2002〜)◦学生時代◦社会人時代失敗を恐れず、どんどん挑戦していって欲しい。私もひどく恥ずかしい失敗はたくさんありましたが、数年すれば、たいした事でなくなります。やって失敗する恥ずかしさより、挑戦しない事への後悔の方が大きいような気がします。これは現在の私に向けてのメッセージでもあります。「世の中に役立つ物づくり」を目指しています。研究はどこかで人に役立つものでないといけないと、個人的には思っています。私達の子ども達や、そのまた子ども達により良い環境を残していくために、わずかながらでも自分の研究で貢献できるよう日々邁進中です。2004結婚2002〜(株)村田製作所2006〜(独)産業技術総合研究所2007〜(独)産業技術総合研究所日本学術振興会特別研究員(PD)2003〜大阪大学COE特任助手2010〜大阪府立大学特別講師(テニュア・トラック講師)将来の目標・夢Dream後輩へのメッセージMessage〜2000大阪大学卒業〜2002大阪大学大学院博士前期課程修了11

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